Hobby

Webクリエーターとしての私

Webの魅力にとりつかれて

Webを作り始めたのは1996年からだ。 マッキントッシュ用のブラウザをネット上で手に入れて、インターネットに接続した。 それで、アメリカの大学や裁判所などのWebを見て、衝撃を受けたときである。 最初は、題材が何もなかったので、個人のページを作成した。 トップページとその他に数ページの簡単なものであった。 それでもすごくうれしかった。 インターネットを通して、このページは世界中から見ることができているんだ。 単純にそう思っていた。

Webの機能の中でいちばん感心したのは、ハイパーリンクというしくみである。 これは、文章の中にあるキーワードに他のページや他のサイトを関連付けできる機能である。 用語の説明や解説はこのハイパーリンクを使って他のページで説明し、 文章全体をを簡潔にまとめることができる。 これまでは、注釈を入れ、巻末に解説や引用先を書いていたものだ。 これをハイパーリンクは、いとも簡単にやってのけることができるのである。 すばらしい。 それ以来、Webの魅力にとりつかれているようだ。
わたしの考えるWebとは

Webでいちばん重要なものは、テキストの質と量であると思っている。 今の段階では、と注釈を入れておこう。 もう少し情報化技術とネットワーク環境が進めば、イメージや動画もテキストと同じように インターネット上の重要な情報資源となると考えている。 そのときは、テキストとイメージと動画の質と量が、Webを評価する重要な要素となるであろう。

Webは一種のデータベースであると思っている。 「Webデータベース」という言葉は、わたしの造語である。 将来的に、インターネット上にあるWebのテキストが、壮大なデータベースとなるであろうと確信している。 それで、この言葉を使っている。

わたしは常々、インターネット上にWebとして「おばあちゃんの知恵や長老の言葉」のようなものを残したいと思っている。 昔は大家族が中心で、3世代同居など珍しくなかった。 その当時では、家事のことや病気、冠婚葬祭など、ちょっと困ったことがあればおじいさんやおばあさんに聞けばよかった。 それでもわらないことがあれば、町の長老といわれる人が一人はいて、その人に聞けばなんでも解決をしていた。 そういう時代もあった。

しかし、現在では核家族化が進み、2世代同居の家族さえが珍しくなってきている。 そのため、これまでその地方地方にあった人間の知恵というものが継承されなくなってきているのではと心配している。 「ローマは1日にしてならず。」人間もいっしょだ。人間も1日にしてならず。 それに、人間はひとりでは生きていけない。 これまでの多くの知恵の積み重ねが、現在の生活を支えているのである。

これから生まれてくる人へ、今の情報を残したい。 少なくとも、わたしはそう思っている。 これまでの過去の知恵を残すのは、わたしにはできないかもしれない。 できるだけ努力してみたいとは思っている。 しかし、これから気づいた知恵であれば、残していけるのではないかと思っている。 そう、Webにテキストの形で、インターネット上に残していきたい。

趣味は、Webクリエーター

当初から、わたしはWebを作成することは苦ではなかった。 テキストにタグを埋め込み作業は単純な作業なのだが、さほど嫌気を感じたことはない。 むしろ、時間を忘れてWeb作成に集中していたときのほうが楽しく感じている。 それで、この間Webを作成することが、わたしの趣味の一つとなっている。

1999年くらいから、自分のWebだけを更新していることに少しマンネリ感を覚え、 友人のページをボランティアで作成し始めた。 しばらく続けていたら、ボランティアで無料でやっていることもあって、ぼくもわたしもと Web作成依頼が増えてきて、最近は10サイトくらいの作成管理を行っている。 ただし、自分の趣味の範囲で行っているので、プロが料金をいただいて行っている手厚いサポートは 到底してあげられない。 わたしのできる範囲でのサポートで我慢するという、唯一の条件だけは飲んでもらっている。

Webつくりの基本

ここでわたしが考えているWeb作成の基本をいくつか紹介しておきたい。

1.シンプル

難しいことを難しく伝える。 これでは、だれも内容を読んでくれない。 だれも読んでくれないようなものを作っても、後々何の肥やしにもならないと思っている。 難しいことをやさしく伝える。 これは非常に難しいことである。 だけど、専門的なことを専門外の人にわかるようにつくらならければと思っている。 そういう努力をすることで、少しくらい解りにくい表現があっても我慢して読んでくれるようになると信じている。 Webの内容は、シンプルにわかりやすく。 これが、基本中の基本である。

2.HTMLオンリー

作成方法も、シンプルでなければならない。 もし内容を英語で書いているとしたら、たぶん世界中から見てもらうことが可能である。 その場合、各国の経済状況で格段に遅い回線があるかもしれない。 しかし、そのような回線の利用者に対しても、適度な表示速度でWebを提供できることが重要である。 利用者は、光ケーブルを引いて、常時100メガのスピードを享受できる環境の人ばかりではないということを 肝に銘じたほうがいいと思う。
それでわたしは、FLASHや極端に大きなサイズのイメージを使わないようにしている。 できるだけHTMLのタグだけで表現できるようにデザインを考えている。 重要なのは、テキストの質と量であって、Webページのミテクレではないのである。

3.圧倒的な情報量

専門的なことを専門外の人に説明すると、情報量は飛躍的に増加する。 わたしはそれでいいと思っている。 それくらいしないと、自分の言いたいことは人には伝わらないのである。 門外漢の人でも、手を取り足を取り教えるように、解説する。 そうすると、自然と情報量は膨大になり、わたしの考えるいい情報源となるのである。

4.正確な情報

インターネットの特徴のひとつに、匿名性がある。 利用者がみな性善説に基づき、マナーを守った適切な使い方をしてもらえれば問題はない。 しかし、悲しいことに世の中には善意の人ばかりが生活しているわけではない。 悪意を持って、この匿名性を利用しようとする人もいる。 そうした場合、虚偽やデマがネット上をそれこそ縦横無尽に駆け巡り、 無実の人を誹謗中傷したり、優良企業を奈落の外に突き落とすようなことが結果として起こりうるのである。
これまでの既存のメディア、テレビやラジオ、新聞、本などは、情報発信者や情報提供者がすぐ分かるしくみになっている。 それにそれぞれの業界で、情報発信に関する倫理委員会のようなものを持っており、絶えず監視を行っている。 そのため、上記のメディアから出た情報は、ほぼ正しいもので、信じてもいいと思っている。
インターネット上のWebも、少なくともこのレベルまでは行かなくてはならないと思っている。 そうでなければ、玉石混淆で使い物にならないという評価になってしまう。 現在が、まさにその状態であると思う。 インターネット上の石をすべて排除し、すべての情報が信頼を得るものであるというところまで、 わたしひとりの力で持っていくのは不可能である。 ただし、情報発信者のひとりとして、常に正しい情報を掲載していくし、 そのことをできるだけ多くに人に伝えていきたいと考えている。

5.Webデータベース化

作成したWebは、将来的に歴史的な資料としてインターネット上に残り、これから生まれてくるであろう わたしたちの子孫のための重要で有用な情報源(Webデータベース)となることを念頭におき、日々の更新にあたる。