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テニスへの復活

これまでの経過

この記事は、2003年2月に書いている。
2000年1月から、週1回程度の軽いジョギングを開始し、 3ヶ月ほどでテニスができそうな体と気持ちができてきた。 4月からは、ブーゼのサークルに参加するなど、徐々に本格的なテニスへの挑戦を開始した。 それでもそれから1年間は、アキレス腱を断裂する前のように、週3回といった頻度でのテニスはできなかった。 しかし、月1回くらいの練習は欠かさないようにしている。

2001年6月、思うところあって、テニスへ完全復活しようと思った。 以降、ほんとにアキレス腱を切ったの?、といわれるくらい元気にテニスをすることができるようになった。 以下に、その詳細をかいつまんで報告する。

2000年4月29日

ブーゼ初参加。ブーゼとは、プライベートの仲間内だけのテニスサークルである。 できたのは、1991年8月で、もう10年以上も続いているサークルである。 わたしは、とある人に紹介されて、2000年4月29日から参加している。
活動の拠点は、品川プリンスのテニスクラブである。 ここは室内コートで、2階に7面のオープンコートと3階に2面(8、9番)のプライベートコートがある。 どれも時間制の面貸しで、予約が必要である。 特に、3階の2つのプライベートコートは、時間帯別に1年間(4月から3月)借りることができる。 ブーゼでは、このプライベートコートの8番コートを、 毎週土曜日午後10時から12時までの2時間を1年間貸しきっている。 ここで、毎週練習やゲームをして楽しんでいるのである。 ん、午後の10時から12時?そう、午前中ではありませんよ。

2001年6月28日

明治神宮テニスクラブ復活。アキレス腱断裂後、約1年半ぶりの完全復活である。
神宮でのテニスは、さすがに厳しい。 本格的なテニスは久しぶりなので、この日の疲労が取れるのに2週間ほどの時間を要した。 この日以来、周1回のペースから徐々に回数を増やして行くことにした。 体が、このペースに慣れるまでに、なんと3ヶ月もかかった。 この3ヶ月間は、頭がぼーっとしたり、体が1日中だるかったり、いろいろな体の変調を感じた。 しかし、いったん体ができてしまうと、毎週の回数を増やしても対応できるようになってきた。。

2002年1月24日

毎週テニスできるようにはなってきたが、まだまだ足腰は、元の状態まで戻っていないようだ。 時間的には、1日に3セットから4セットの試合をすることができるが、後半のセットになると、 足がぜんぜん動いていないのがよくわかった。 スタミナがつくには、もう少し時間が必要かもしれない。

2002年5月14日

心身ともに絶好調であったが、またしてもアクシデントが。 神宮の練習中に、頭の上を抜かれたロビングボールを追いすぎて、バックネットに激突。 右膝をすりむき、右肩を少々打撲した。
本格的にテニスを再開して、約1年経つことになる。 このころから、体の変調を少しづつ感じるようになった。 この日の事故は、自分の感覚としてはボールに追いついているのだが、 最後の一歩が踏み出せず、躓いてしまったのだ。 つまり、自分のイメージと体の動きとに、若干のズレが生じているのだ。 「もう、年齢的な限界なのだろうか?」 こんなフレーズが、頭をかすめた瞬間であった。

2002年6月

右ひざに鈍痛を感じるようになった。
これは、直接の原因は左足のアキレス腱断裂だと思う。 知らず知らずのうちに左足をかばってテニスをしているので、右足にその負担がきたのだと思う。 すこし、テニスに行く回数を少なくしたり、と工夫してみたが、その後しばらくの間、回復しなかった。
詳細は、ひざ痛のコーナーで報告したい。

2002年6月6日

神宮の練習中に右の鼻から大量の鼻時が出た。そのあと、約2ヶ月間、この鼻血に悩まされることになる。

これは、ほんとにこまった。こんなに大量の鼻血が出たことがなかったので、ショックもすごかった。 テニスは運動量が多いので、消費する酸素の量も多い。 ちょっとしたエアロビクス運動のようなものである。 そのため、体の中に活性酸素(諸悪の権化)をたくさん発生させる可能性を秘めている。 いや、実際大量の活性酸素が発生しているはずである。 これらをいち早く中和し、無害なものにしておかなければ、後々それが元で重大な病気を引き起こす可能性がある。 わたしは、この鼻血も、体が発している何かの危険信号ではないか?と思っている。 そういえば、と思い起こしてみた。

わたしは、体の酸化防止のため、ビタミン類を中心としたサプリメントを毎日摂っている。 その中で酸化防止に効果のあるのが、ビタミンCとEである。 これらの1日の摂取量を、テニスを再開する前と後で変えていないのである。 あまり運動をしなかったときの量を、テニスを再開した後も続けていたのである。 はたと思って、その量を再検討し、摂取量を少し増やしてみた。 3ヶ月ほどで、鼻血が出ることはなくなったし、膝の状態もよくなってきた。

2002年10月23日(アキレス腱断裂から約3年)

練習の翌日、左ひざが痛くて、階段を降りることだできなかった。 この年の6月から始まった右ひざ痛と今回の左ひざ痛については、別のコーナーで詳しく報告することにする。

2003年2月

2003年2月現在では、このひざ痛は回復している。 ただし、痛みがあった約半年くらいの間、テニスを週1回くらいに制限してきたので、足腰が少し衰えているように感じる。 ひざの痛みもなくなったので、しかも少しづつ暖かくなってくると思うので、これから徐々に動ける足を取り戻そうと思っている。