02 Accident

救急車にて

救急車に乗るのは二回目である。 最初に乗ったのでは、何年か前のことである。 私の息子は、自宅近くの四谷消防署の少年消防団員である。 それで、何かとイベントがある場合は、借り出されている。 1997年の年末、恒例の餅つき大会の手伝いに、息子が家内と一緒に行っていたときのことであった。 家内から、息子が急に腹痛を訴えているので来てほしいと電話があり、消防署に行った。 行ってみると、息子は休憩室で横になっていた。 が、あまり痛そうではなかった。 ここは消防署で、救急車の準備も整っている。 消防士の人から、病院へ行ったほうがいいのでは、と進められたので、その好意に甘えることにした。 この時始めて、息子と家内、私の三人で、みんな始めて救急車に乗ることになった。 病院で調べてもらったが、息子は対したことがなく、その場は一件落着であった。

二回目が今日である。 しかも、ストレッチャー(担架)に載せられるのは、初めてである。 神宮の室内コートは二階にある。 階段を降りないといけないので、通常の担架でなく、椅子のような担架で運ばれることになった。

救急車の中に担ぎ込まれると、どの病院へ行くのかという交渉が待っていた。 私の自宅は、四谷三丁目なので、慶応病院が近い。 消防士さんに慶応病院をお願いした。 電話で問い合わせをしてもらったが、先方に断られたようだ。 次に、東京女子医大をお願いした。 ここも自宅から近い。 息子が担ぎ込まれたのもそこで、彼が産まれたのもそこだ。 しかし、女子医大も断られたようだ。 三回目で、ようやく日赤病院(広尾)に受け入れてくれることになった。 もう、どこでもいいから早く連れて行いてくれ。

道々、消防士さんから、アキレス腱が切れたときどんな状況であったのか聞かれた。 私が、「ブチッという音がしました。」というと、 「それは、完全に切れてるね。」 「直すには、手術もしなくてはいけないし、一ヶ月は入院かな?」と消防士さん。 えー、一ヶ月も入院なら大変な話だ。 かみさんに入院の準備も持ってきてもらわなくちゃ。

消防士さんの話では、病院の救急受け付けは、すごく混んでいるらしい。 しかし、救急車の方を優先して、診察室まですぐ連れていってもらった。 後は、ドクターの来るのを待つだけである。

写真は、テニスクラブを出たところの道路。 一般的には、神宮の銀杏並木として有名な道である。 これも、自然光で、レイトシャッターでとった。
2003年3月13日撮影。