ペン画淡彩スケッチ展 松原 2010年2月

(02)築地本願寺 2008年
浄土真宗本願寺派【西本願寺】で以前は浅草近くの横山朝に会ったが、明暦3(1657年) 、有名な振袖火事で焼失してしまった。延宝7(1679)年に、八丁堀の海上を埋め立てて再建、 「築地御坊」と呼ばれるようになった。
その後も、関東大震災で崩壊したが、昭和9年東京大学工学部教授・伊藤忠太博士の設計により 再建された。
建物の外観はインド様式の意思作りであるが、本堂は伝統的な真宗寺院の造りになっている。

スケッチの日は冬で寒く、手が震えて動かなかった。帰りに築地市場のすし屋で飲んだお茶が温かくおいしかった 〜、今でも忘れられない。
(03)本郷 菊坂(樋口一葉の住居後) 2003年
樋口一葉は現在の東京都千代田区」で生まれた。少女時代は恵まれた家庭で育ったが、 父が事業に失敗して病死した為、一家の苦しい家計を支えるため本格的に作家活動を始めた。 その後14カ月のあいだに最高傑作といわれる「かけくらべ」などを発表、これからという1896年に 肺結核のため24歳で死去した。 転居の多い家庭で一葉の短い生涯に15回の引っ越しをし、明治23年に本郷菊坂の井戸を挟んだ向かい側の家に移った。 「まだだれも起きてこない元旦の早朝に若水を汲んだ」と日記に書かれており、この井戸は手こきポンプ式になって現在も使用されている(実際に水は出ました)。

この絵は2003年に描いた。狭い場所で立って描いたので疲れたことを覚えている。

当時でも絵を描いている時見物に来る人がいたが、2004年の5000円紙幣に樋口一葉が採用されてから見物者が増えたようだ。
(04)東京駅 2007年
明治建築界の重鎮だった辰野金吾が設計し、1914年(大正3)に建築された。
建物の様式はフリー・クラシック様式で、ゴシックとルネッサンスの折衷をもとにした、赤と白の対比に特徴がある。
建物は、当初は3階建てであったが、戦災で屋根や内部を焼失し、1951年(昭和26)の改修工事で今の2階建てになり、屋根形状も木造トラスの八角屋根に簡略化されたが、現在昔の3階建てに戻す工事が始まった。

東京駅を描いた絵は南口側、中央口、北口側からといろいろな角度から10枚近く描いた。そのうち新しい東京駅ができたら、昔の東京駅として貴重品になるかも?しれない。
(05)深大寺 
深大寺という名は,水神の深沙大王に由来しており,奈良時代,天平5年(733)に満功上人が開山したお寺で、縁結びの寺としても有名になっている。

また深大寺蕎麦が有名ですが、これは江戸時代、深大寺周辺の土地が、米の生産に向かないため、そばをつくり米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、深大寺そばの始まりと伝えられている。

昔技術開発研究所に勤務していた時、近くにあって見た深大寺と、絵を始めて見た深大寺の感じが全く違い、荘厳な感じだけでなく躍動感を感じられたのでこの感じを描きたいと思いスケッチした。
(06)横浜開港記念館(建物通称ジャック) 2006年
横浜開港記念会館は横浜港近辺にある「横浜三塔」のひとつで、他に、キング(県庁)、クイーン(横浜税関)がある。
このジャックの塔は大正6年に建設され三塔の中で一番古く、唯一関東大震災を経験している。この震災でなくなった時計台とドームが平成2年に復元され現在のような優雅な建物になった。この斜め前には神奈川県庁(キング)がある。
  
 JR関内駅町から10分くらい歩くと突然、外壁の赤レンガと青銅の色のドームがマッチした綺麗な建物現れた。スケッチは向かいの道路の歩道から描き、建物が近くに見え迫力がある。
(07)旧岩崎邸庭園(国・重要文化財) 2008年
明治29年(1896年)に三菱創業者・岩崎弥太郎の息子・久弥が本邸として建てた建物と庭園。
イギリス人ジョサイア・コンドルが設計した本格的なヨーロッパ式洋館。他にスイスの山小屋風のビリヤード場、書院造りを基調とした和館があり当時の生活様式を見ることができる。

正面の庭にはシュロの木が数本あり、この風景を見ると日本からいきなり異国に迷い込んだような気分になる。

(08)築地の路地 2005年
地下鉄築地駅の周辺は、大正時代の銅版で出来た壁の家や老舗の店等が残っている。築地は明治初年頃外人居留地であり、旧い教会(築地教会)が昔の面影を残している。

この路地も何気なく入ったら、木造の家並みが良く思わず筆を取った。
つい最近ここに行ったら、右側の家は高級割烹に変身していて外形は変わらないが雰囲気は以前と変わってしまっていた。









(09)旧古河庭園 2007年
JR駒込駅から徒歩10分のところに古河庭園がある。建築築設計者は、英 国人ジョサイア・コンドル博士で、他には旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計した。元は古河虎之助男爵が1917年に建てたイギリス風洋館であるが、いまは国が所有し、国指定名勝になっている。

洋館の外壁は赤みを帯びた色で光線の角度、強さで赤から紫に微妙に変化する。洋館と日本庭園、西洋庭園がマッチし、西洋庭園のバラが有名である。
(10)神楽坂の路地 2005年
「神楽坂」の名前は、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれている。

神楽坂の上の方には毘沙門天善国寺をはじめ、若宮八幡や赤城神社などの寺社が散在する。 
                                             表通りから一歩入ると静かな路地の中に、この絵のような黒塀のレストランや料亭があり、絵を描いていた時三味線の音が聞こえて来る、風情のある町だった。

最近この場所に行ったら開発が進み、この絵の路地もビルが建ちすっかり変わってしまった。
(11)柳橋・神田川風景 2008年
JR浅草橋駅から歩いて10分の所に柳橋がある。神田川が隅田川へ流入する落口に架けられた橋とその付近の街をいう。
慶長年間(1596〜1615)から船遊びのための船宿が建ち、待合茶屋などの粋な遊び場、花街へと発展、明治、大正時代へと受け継がれた。関東大震災や戦災に遭ったが復興し現在の姿になった。

現在は神田川に係留されている屋形船が当時の面影を残した唯一の景色となっている。
絵は柳橋のたもとにある有名な佃煮店「小松屋」の横から描いたもので、いつもスケッチに行った時ここで佃煮を買ってくる。
屋形船を描いた絵は5枚あるがこの絵が一番気に入っている。
(12)昌平橋より聖橋・神田川 2008年
歌川広重の江戸名所百選の「昌平橋聖堂神田川」と同じ構図で現在は 昌平橋からは見えないが湯島聖堂の練塀(土塀)は絵の遠景の聖橋の 右端にこの練塀が残っている。

手前はJR総武線神田川橋梁(1932)、遠くに地下鉄丸の内線の橋梁が掛かっている。
画面右側の建物が密集している側は稲荷河岸と呼ばれ、非常に古くからの河岸地。








(13)旧前田公爵邸 2007年
京王井の頭線「駒場東大前」より歩いて10分のところにある。
この建物は加賀百万石・前田家の第16代当主・前田利為侯爵の本邸として1929年に建てられ、当時は「東洋一の洋館」と言われた。戦後、連合軍により一時接収され、ダグラス・マッカーサーが住む予定であった。
1957年(昭和32年)に日本に返還され現在は東京都が管理し「都指定有形文化財」になっている。

この絵は冬に洋館正面から描いた1枚で全体が見えるが、他の季節は前面にある植樹と左側のヒマラヤスギが邪魔して全景を見ることは難しい。






(14)江ノ島ヨットハーバー 2008年
相模湾北東部にある名勝「江の島」の東側に位置している湘南港は、1964年、東京オリンピックのヨット競技場として整備された。オリンピックでは参加国40カ国、参加選手281人、参加艇数109艇がフィン級からドラゴン級までの5種目を競った。以来、湘南港は公共ヨットハーバーの草分けとして、数々のヨットレースが開催され、日本のヨット活動の普及に貢献してきた。

この絵は2008年12月、朝日カルチャーセンターの徳弘先生と仲間のスケッチで、当日は風もあり夕方には急に寒くなり震えながら描いた。帰りに近くの船宿で食べた刺身定食は新鮮で旨かった思い出がある。
(15)夕暮れの東大農業試験場 2005年
西武線・田無駅から徒歩10分にあるこの試験場は壮大で、都心近くに北海道の大自然を持ってきたのではないかと思わせるポプラ並木、サイロ、牧場などが点在する懐かしい風景が見られる。
特に秋の紅葉と、武蔵野台地独特な夕昏の層状の雲が美しく、毎年同じような絵を何枚も描いている。
一時、再開発で試験農場廃止の噂があったが中止になったようだ。この景色は是非残してもらいたい。
東大農業農業試験場は1929(昭和4)年に「東京帝国大学農学部林学科田無苗圃」として創設され、2000(平成12)年に大学院農学生命科学研究科の附属施設となった。
(16)二月堂への道(東大寺・国宝) 2009年
旧暦2月に「修二会」の行が行われることからこの名がある。「修二会」は1200年の間1年たりとも欠かすことなく続いた密教的な行いで、中でも「お水取り」が有名である。
現在の建物は一度、お水取りの最中に焼失ししたが、1667年現在の建物に再建された。
この絵は正面参道の階段に座って描いた。その時人出はあまり多くなくゆっくり描けたが、16時頃から急に人が増え始め、19時に突然大松明に火が付けられ高いお堂の回廊を駆け巡る光景はなかなか迫力のある光景だった。

一度ホテルに帰ってから22時ごろまた本業を見に二月堂に戻った。今度は堂の中で僧侶の読経と蝋燭の火が駆け巡る厳かな幻想の世界を見ることができた=でも寒かったア〜。




(17)シャルトル(パリ郊外) 2009年
パリから南西へ特急で約1時間、人口4万人の都市シャルトルには、ステンドグラスの美しいゴシック建築の傑作と言われる大聖堂(世界文化遺産)がある。
左右の塔は建設された時代の違いにより異なった建築様式で、キリストの家系図を表した翼廊のステンドグラスは、「シャルトルの青」といわれる青みのあるステンドグラスが有名である。
この町は大聖堂を中心に城壁で囲まれ、町は中世を思わせる建物ばかりで昔にタイムスリップしたようだった。
町の観光は、遊園地にあるような5両連結の小さなトラムに乗り一回りする。その途中で大聖堂が見える素晴らしい景色の場所があったので、歩いて戻りスケッチをした。(後で土産物店に行ったら、同じ景色の写真や絵ハガキが売っていて、一寸がっかりした)
(18)フェズ・エル・パリへの入り口「ブー・ジェード門」 2009年6月
フエズの旧市街地(メディナ)は9世紀の初めモロッコ最初のイスラム王朝の首都になり、1000年を超えた今でも市民の生活の場になっている。
城壁をめぐらした内部は無数の細い路地が網の目のようにあり、メディナの住民は約60万ともいわれるが正確な数は分からない。 中はモスク、神学校、公衆浴場、スーク(商店街)があり、迷路のような狭い路地一杯に人があふれている。
ブー・ジェード門はメディナ最大の門で1913年に建てられた。外壁面は青や緑色の幾何学模様の彫刻に彩られている。

この絵は門の入口にあるカフエでコーヒーを飲みながら描いた。門からはジュラバ(男性の民族衣装)の人、荷物を背負ったロバなどが忙しそうに出入りしていた。
(19)ドゥブロヴニク(クロアチア) 2007年
ドゥブロヴニクはクロアチアの南、アドリア海沿岸に位置し「アドリア海の真珠」といわれる美しい都市で、世界文化遺産に登録された。
街は海に突き出た形で、堅固な壁が旧市街を取り囲んでおり、目抜き通りには旧共和国元首官邸、聖ヴラホ教会、大修道院など歴史的な建物がある。 
この絵の聖ヴラホ教会は町の中心地にあり18世紀に建てられたバロック様式で、世界遺産に指定されている。

7月の暑い日だったので、アドリア海でひと泳ぎと思ったが、水が冷たく10分と入っていられなかった。
(20)サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(ベネッエア) 2004年
ヴェネツィアのサン・マルコ広場から対岸に見えるカトリック教会で、美しい外観でイタリアで最も多く写真に収められる場所となっている。

サン・マルコ広場側の雑踏を避け、対岸の路地を歩いていると突然目の前に 聖堂のドームが現れた。
狭い路地で座る場所がなく、絵を売っている人の隣で描いたが恥ずかしかった。
観光客も少なく静かなところでゆっくり描けた。







(21)腰越漁港 2008年
江ノ電「腰越駅」から約5分のところに、この腰越漁港がある。
漁港は南を相模湾に面し、西は神戸川(ごうどがわ)を挟んで腰越海水浴場、東は七里ヶ浜、また港の正面からは江の島を一望することができる。
地元の漁師の船の他に、遊漁船(一般向けの釣り船)も多く、休日には一般の釣り客で賑わう。  
                            名物はシラスで季節になると漁船の出入りが激しくなる。 特に冬の夕方は空気も澄んでいて、ここ腰越漁港から見る江の島シルエットは、きれいな夕日と雲の織りなすハーモニーはオーロラを見るようで、見ていて飽きない美しい景色だった。
(22)湯の上温泉駅 2007年
絵の「湯の上温泉駅」は、西若松から会津高原尾瀬口を結ぶ会津鉄道の駅で、近くには「大内宿」「芦ノ牧温泉」 がある。現在は東武鉄道、野岩鉄道、JR只見線、と相互乗り入れしており東武浅草駅から直接行けるようになった。
                                      この沿線は阿賀野川上流の景勝地が続き、四季折々の渓谷美を楽しめる閑静な温泉郷も沢山ある。
藁葺き屋根の素朴な駅舎で、中ではいろりがパチパチと音を立てていて、湯茶がサービスされ、観光客と地元の人の交流の場になっているのが印象的だった。
(23)下田・爪木崎 2008年
下田市の景勝地として知られている爪木崎は、水仙の群生地として有名で静岡県名所100選にばれた。(隣接して須崎の御用邸がある)

公園内の順路(1.3km)に沿って歩き、岬の先端にある灯台の見晴台からは天気が良いと伊豆七島(八丈島を除く)が見える。
また、水仙の咲く浜辺から爪木島にかけて海の色がセルビアンブルーに輝き、美しい景色だった。

確認できた諸島は左から 大島、利島、鵜渡根島、新島、三宅島、式根島、神津島、(近くの爪木島)。





(24)小石川植物園の秋 2009年
地下鉄丸ノ内線「茗荷谷駅」より歩いて15分の所に、通称「小石川植物園」がある。正式名は、「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」で、東京大学の教育実習施設です。
この植物園は日本で最も古い植物園で、約320年前に徳川幕府が作った「小石川御薬園」が前身であり、園内には数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されている。
地形は台地、傾斜地、低地、泉水地などの変化に富み、それを利用して様々な植物が配置されている。
園内には旧東京医学校本館(重要文化財、1876年完成)があり、本館と池をモチーフとした絵が多い。






(25)円覚寺山門(鎌倉) 2007年
北鎌倉駅から5分の所にあるこの円覚寺は、1282年(弘安5年)、鎌倉時代の執権北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された。
鎌倉五山の第2位で伽藍は七堂伽藍の形式であり、山門、仏殿、方丈と一直線に並び、その両脇、右に浴室、東司跡、左に禅堂(選仏堂)が配置されている。
山門(三門とも書く)は娑婆の執着を取り払って仏殿に至る門といわれている。
(現在の山門は1785年再建された。)

山門は近くで見ると重厚な感じで、柱と屋根が非常に魅力的で他に5−6枚の絵を描いた。





(26)鎌倉龍口寺五重塔(五重塔シリーズ No5) 2005年
五重塔とは、お釈迦さまのご遺骨を奉安する仏塔の一つです。
2006年頃から五重塔に興味を持ち、調べたところ東京周辺に8塔があることが分かった。全部の五重塔を描くつもりだがまだ日光の東照宮の五重塔は描いていない。
この龍口寺は江ノ電「江ノ島駅」の近くにあり、明治43年(1910年)竣工され、県内唯一の本式木造の五重塔として神奈川建築物百選に選定されている。
この地はかつて刑場跡で、鎌倉時代、日蓮上人が処刑されそうになった。この事件を龍ノ口法難と呼び、日蓮上人入滅ののち、直弟子だった日法が1337年に寂光山龍口寺を建立した。    
     
(備考)
1)他に描いた東京周辺の五重塔。
1.上野・寛永寺、 2.中山・法華経寺、 3.池上本門寺、 4.高幡不動、 5.浅草・浅草寺、 6.新百合ヶ丘。
2)まだ描いていない五重塔 : 8日光寺東照宮

(27)歌舞伎座(国の登録文化財) 2008年
「歌舞伎」はユネスコの世界無形遺産として登録されている。
明治時代にその歌舞伎の殿堂である歌舞伎座が創建され、震災や戦争で破壊と再建を繰り返し、現在の建物は4代目である。
この歌舞伎座は、昭和26年に再建したものだが老朽化が進み、今年の4月の興行の後は建替えることになっている。(2013年春完成予定)

今までは座席が狭くまた前に大きな人が座ると見えなくなり、エレベータもなく、高齢者たちが苦労していることが改善されると良いと思っている。
歌舞伎座の絵を描いていると、日中は閑散としているのに11時と16時頃突然入口に人があふれ、どう描いたらよいか戸惑った。(あとで知ったが入れ替えの時間との事)




(28)三社祭(浅草) 2007年
推古天皇の時代、漁師の浜成、竹成兄弟は隅田川で観音像を拾い、地元の郷司土師真中知に相談したところ、 これぞ聖観世音菩薩と教えられ、寺を作って安置したのが浅草寺です。(隣にはその3人の神を奉る三社権現社がある)。
三社祭の起源は、鎌倉時代に「神輿をかざり奉り、 船遊の祭礼をいとなみ、天下の安寧を祈れ」とのご神託があり、祭礼が営まれるようになった。(浅草寺縁起による)
三社祭りの神輿の掛け声はセイヤ・ソイヤ(深川祭は「ワッショイ」)で、町内のあちこちの横丁から、威勢の良い掛け声が聞こえてくる。

(三社祭の絵は
神輿(その1)、
休憩中の人々(その2)、
雷門(その3)の3枚のシリーズで描いた)


(29)北の丸公園 清水門 2005年
地下鉄・九段下駅より徒歩5分のところに清水門がある。
この清水門は寛永元年(1624)大名,浅野長晟により建てられた高麗門及び塀と櫓(やぐら)門からなる出枡形の形式で、扉釣具の銘には万治元年(1658)とある。これは江戸城の総曲輪の大工事を行ったついでにこの門も修復した年であると考えられている。
門の名前は,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したとも言われている。
この一枚はお堀側から描いたもので、静かな中にがっしりとした門は何物も通さないと言う強い意志が感じられる。絵の正面の石垣の上からの景色も良かった。




(30)日本橋(国の重要文化財) 2004年
日本橋は慶長9年(1604)に制定された五街道の起点となり、諸国からの 人々の往来で賑わい、呉服の白木屋をはじめ 両替屋や大問屋が進出し日本経済の中心となった。また、対岸には魚河岸があり大変な活気をみせたという。。
今の橋は明治44年(1911)石造橋に改架され、現在に至っている。。
残念ながら現在は首都高速道路に埋もれた景色となり、「悪い景観百景」の一つにも選定されるまでになった。高速度道路を地下に移し昔の日本橋に戻そうという再開発計画が検討されたが、事業費が莫大になることから実現は難しいと思われる。。
この絵は再開発計画の話を知らずスケッチ仲間と話し、高速度道路のない絵を描いてみようとトライした一枚です。
(31)山手十番館(横浜山手地区) 2008年
港ヨコハマを望む外国人墓地前にある「山手十番館」は、明治百年祭を記念して昭和42年に開館し、横浜山手の象徴的な存在とし知られている。
緑に囲まれた高台の眺めを背景にティールームとレストラン、そして時計台からは「赤い靴」のメロディが流れて来て、訪れる人々を異国情緒へ誘う。

横浜の山手には古い洋館(山手イタリア山庭園、外交官の家、ブラフ18番館、ベーリックホール等)が数多く保存されていて、絵の材料には事欠かない。
(32)札幌時計台(国指定 重要文化財) 2006年
通称・札幌時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」といい、農学校の初代教頭クラーク博士の発案で、生徒の兵式訓練や心身を鍛える目的のため1878年(明治11年)に建設された。
明治36年に農学校が北海道大学に移転した後、この時計台は札幌市が買い取り、図書館、講堂として講演会などに使われ、市民の教育、文化の中心の役割をはたした。
この日は天気が良かったが気温が低く、ビルの隙間に立って震えながら絵を描いた。

(33)椰子の木のある風景(ガーナ共和国) 1999年
この絵は、発電所候補地の海岸を描いた一枚。
ガーナは1957年イギリスより最初に独立を果たした国で、主要産業はカカオ・金・観光等で治安が良く公用語は英語となっている。
南部の海岸線には世界遺産のケープコースト城やエルミナ城があり、また、アフリカ最大の奴隷貿易の歴史を見ることが出来た。
ガーナは野口英世博士が黄熱病の研究で生涯を捧げたこともあり、日本人に対しては非常に友好的だった。
私は1999年発電所計画のため1ヶ月、建設予備調査と政府との交渉でガーナへ出張した。
マラリヤ予防のため、夜6時以降は外出しないよう注意されたが、カウンターパートの若いエリート官僚がマラリヤに罹りリタイヤした怖い思い出がある。
(34)マチュピチュ遺跡(ペルー) 2007年
最近集中豪雨で観光客が足止めされた空間都市マチュピチュは、絶壁の山々が連なるウルバンバ渓谷の山間、標高2,700mのところに15世紀頃建設された。。
遺跡の約半分は段々畑で、西の市街区は城壁に囲まれ、インカ形式の神殿や宮殿、居住区になっている。ある時住民はこの都市を残し突然消えてしまったが、スペインの侵略、破壊からは逃れ、いまの遺跡が残った。その後、1911年アメリカ人歴史学者が現在の遺跡を発見した。。
私たちの観光の日は天気が良くツアー仲間は皆トレッキングに出かけたが、私はこの景観を満喫したいと思い、段々畑に座り2時間で2枚、ゆっくり絵を描いた。。
麓のレストランで食事していた時、日本テレビ「宇宙船地球号」の撮影隊が来て私たち一行を撮影して行った。(帰国後テレビを見たら―はっきり映っていた―)
(35)ルーブル美術館(フランス・パリ) 2009年
ルーブル美術館は、パリの中心部、セーヌ川の右岸に位置し、ルーブル宮殿の大部分を占めている。その起源は12世紀末に建造の始まったパリの街を守護するための要塞であり、時代の変遷とともにフランス王家の宮殿、そして美術館へと変貌を遂げてきた。
正面と左側のシュリー翼、右側のドゥノン翼に分けられ中央の中庭には近年作られたガラスのピラミッド(美術館入口)がある。

この絵は2009年7月、パリの美術館巡りの個人旅行した際、食事に行く前の16時から30分間右側のドゥノン翼側、食後帰りの20時頃から(7月のパリは白夜です)30分間左側のシュリー翼側をナポレオン広場から描いて繋げた絵です。
(その間、家内はベンチで寝ていました=すいません)
(36)朝のマッターホーン(スイス) 2004年
サンモリッツから氷河鉄道でローヌ大氷河を経て、夕方ツエルマットに着いた。この時は雲が多くマッターホーンは見えず、残念に思っていたら、翌朝、夜明けとともに、朝日に輝くマッターホーンが頂上から徐々に現れた。
  幻想的なシーンであった。
左の絵はその夜明けの瞬間、ロッジの部屋から描いた。

上の絵は、朝食の後完全に明るくなってからホテルの部屋で描いた










(37)メコン河とカントー市(ベトナム)  2003年〜2009年
ホーチミン市から南西に160Km離れたメコンデルタ最大の都市。フランス人の観光客が多い。(最近は橋の工事で若い日本人の姿が見られるようになった)
私はODA援助の火力発電所(33万KW)の化学・環境設備の計画・設計・建設指導担当し、2003年から2009年までの間に何回も往復し、通算300日ぐらい滞在した。

ベトナム人の朝は早く、暗いうちから街の雑踏、汽船の行きかう音が聞こえてくる。カントー市は低地で、中秋の名月の時は大潮になり町中の道路は浸水し、交通は遮断されてしまう。そのような中でも名月を祝って町中に月餅菓子の露店が出る。
この絵はホテルの屋上(7階)と、河沿いから船の行き来を見ながら描いた風景。
(対岸まで約1km。)  


(38)アンコールワット・アンコールトム 2006年
アンコールは王都、ワットは寺院を意味する。
この遺産はクメール王国(7〜13世紀)が栄えた時代のもので、ヒンドゥー教三大神の中のグイシュヌ神を祭った寺院として建立した。
首都が移って密林の中に埋もれていたが、今から約140年前、フランスの物理学者アンリ・ムオがこの遺跡を発見した。

観光は1月だったが、気温は30℃と暑く、昼食後3―4時間は休憩が入る。
スケッチはこの休憩時間を利用し、バイクタクシー(運転手にしがみ付いて乗る)で20分くらい乗り遺跡に行った。なにしろ暑いのでまず日蔭を捜し、約40分絵を描き、帰りは待たしてあったバイクに乗って帰る忙しいスケジュールだった。
カンボジアの国旗にもこの遺跡がデザインされている
(39)浅草展望(浅草寺方面) 










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