1-2-4 Healthy life

4.健康な人

人間は必ず一度は死ぬ

寿

生物には、寿命というものがあります。もう少し詳しくいうと、生殖機能をもった生物は寿命があります。寿命とは、命がある間の長さのことであり、生まれてから死ぬまでの時間のことです。ですから、人間は必ず一度は死ぬということです。ここで言っている寿命とは、生物学的な寿命のことです。この寿命の使い方は、人によって様々です。自分がいただいた寿命の中で健康に過ごし、まだ体力気力を余しながら寿命を迎える人もいます。逆に、若い時は健康であったが老後に大病を患い数年間寝たきりであったというひともいます。

ピンピンコロリ

ピンピンコロリとい言葉を聞いたことありませんか。これは、寿命のまま病気もせず長生きし、死ぬときも病気せずにコロリと死ぬ、または死にたいという意味で使われています。病気をせずに健康で生きている期間を、生物学的な寿命に対して健康寿命と呼ぶことがあります。世界保健機関(WHO)によると、平均寿命から介護(自立した生活ができない)を引いた数が健康寿命になるそうです。ピンピンコロリとは、生物学的寿命と健康寿命が限りなく等しいことを指しているといえます。私が健康でありたいと思っているのは、この健康寿命をかなり意識しています。究極の目標かもしれません。

は、プラスマイナス ゼロ

「人生は、プラスマイナス ゼロ。」とか「人生は、山あり、谷あり」とかいわれます。いいこともあれば、悪いこともあるし、今が最悪だからってめげないほうがいいよ、という意味で、私はいい言葉だと思っています。私も過去にサラリーマンを自己都合で辞めたころ、経済的にも精神的にも最悪な時がありました。でもその時、きっとここは底だ。それも太平洋の深海の底だ。これ以上、落ちることはない。後は浮かぶだけだと考えることで、とても心が軽くなり、これまで重く肩にのしかかっていたストレスから解放された経験があります。いいことがあれば悪いこともありし、悪いことがあればいいこともある。ケセラセラ「なるようになる」ですよ。

かされているという考え方

2011年3月11日、未曾有の大地震が東北沖で発生し、たくさんの方が被害にあい、今も不便な避難所暮らしを余儀なくされている方がたくさんいらっしゃいます。震災後、テレビで被災地に関するたくさんの報道が今も行われています。映像を見るたびに、悲惨な惨状を現実のものと認めなくてはならない自分と、その厳重に対して何もできない自分の悔しさも相まって、いつも目頭が異常なほど熱くなり涙が止まりません。

陸前高田市矢作町の住民が塩害にあった田んぼを少しでも回復しようと、塩分の吸い上げ能力が高いといわれるヒマワリの種を田んぼに蒔き、田んぼをヒマワリで埋め尽くすという試みがテレビで紹介されました。その報道の中で、発起人の地区役員村上富夫さんが、「いただいた命、生かされた命なので、残った者の役目としてやっていきたい。」というようなことをコメントされていました。とても、重い言葉でした。

命の連鎖奇跡の連鎖

生物学的な奇跡の話になると、卵子と精子の受精の話がよく出ます。数億個といわれる精子の中から、受精できるのはひとつだけ。受精できた精子は奇跡的な確率ですよという話です。でも、目に見えない世界での話なので、私にはあまりピンときません。それよりも「両親がいなければ、今のあなたはいない」という話の方が、実感があります。自分が存在していることは、自分の両親やそのご先祖が、少なくとも出産し子育てをする時に健康であった証だと思います。それが、どれくらい奇跡的な話なのかというと、自分が現在ここに生存するために、どれくらいのご先祖様が関係してきたのかという数字を試算してみるとわかります。

自分が生まれるには、2人の親(父と母)が必要です。両親にはそれぞれの両親が必要で、合計4人のご先祖が存在します。10代遡ると1,024人。20代遡ると1,048,576人。鎌倉時代くらいまで遡ると、25代くらい戻るので、33,554,432人。
少なくとも、三千四百人くらいの健康なご先祖様が存在しないと、今の自分は存在しないことになります。この確率は、かなり奇跡だとは思いませんか。私は、とても奇跡的だと思いました。それとともに、せっかく頂いた命なので、自分の体を健康に保ち大切にしたいと思いました。それとともに、私が命をつないだ家族の命も大切にしたいし、私が関係するその他の命も大切にしたいと思うようになりました。

時間は平等

私は世の中で一番時間が大切ではないかと思っています。時間は、お金持ちでも貧乏でも同じように流れます。生きている時間も、ほぼ平等といっても間違いではないと思います。
200年以上も生きる人は、どこにもいません。不幸にも若くして亡くなる人もいますが、ほぼ80歳前後の寿命の人が多いと思います。50歩100歩ではないでしょうか。
時間は、お金で買うことができません。10年分の人生を売っているということはありません。みんなに平等に同じように過ぎています。
この平等に過ぎていく時間をどう過ごすかというのが一番大切なことではないかと思っています。時間の使い方は、人それぞれで自由です。自分のためだけに使おうが、家族のために使おうが、他人のために使おうが、まったく自由です。自分で決めたとおり使えばいいのです。ですので、私は自分の時間の使い方を、自分で制御できるような生き方をしたいと思っています。仕事や家族のことや、制限事項はたくさんありますが、できるだけ自分で時間を制御でき、みなに平等で二度と後戻りしない時間を大切にしていきたいと思っています。
そのためにも、体と心の健康が重要な意味を持ってきます。いくら自分の時間を自由に制御できても、体が病に冒されていて自由が利かなければ何もなりません。心の重い病気になっていて、自由な時間を不安でいっぱいの状態で過ごすことになっても、楽しくありません。体と心の健康を保ちながら、自分に与えられた時間を楽しく生きたいと思っています。