1-1 Beginning

1.健康を考えるようになったきっかけ

物好きな子のころ

私は東国原知事で一躍有名になった宮崎県の宮崎市に生まれました(実は東国原さんは、都城市の出身ですが)。海まで車で10分、山まで車で30分という、大変自然に恵まれた環境で育ちました。自然が大好きな父の影響で、小さいころは夏休みになると昆虫採集に明け暮れていたように記憶しています。昔のことでしたから、歩いてすぐの林の中にカブトムシやクワガタがたくさんいたのを今でも覚えています。もうあのころの林や森はなくなっていますが。

実家にオオクワガタが1匹入った標本箱があります。縦横20センチくらいの小さいものです。わたしはよく覚えていないのですが、父は「そのクワガタはお前が採ったものだ」といっていました。宮崎でも自然で採れたオオクワガタの標本は珍しいとも言っていました。毎年の夏休みに昆虫採集していましたが、こんな珍しいものまで採っていたとはとんと記憶にございませんでした。

小学生のころは、海が近かったということもあって、浜辺に落ちている貝殻をもっぱら集めていました。最初は、日南海岸の主に砂浜に打ち上げられた貝殻を取っていましたが、次第に岩場に生息する貝を採取したり、漁師さんの底引き網に引っかかった貝を分けてもらったり、守備範囲が少しずつ広がってきました。その結果、400から500種類の貝殻を集めることとなり、小学6年生の夏休み作品展では、宮崎県の県知事賞をいただきました。中学になると、蝶の収集に興味が移ってきました。毎週週末に、父と弟と三人で近くの山へ出かけ、蝶々の採集にいそしんでいました。

その後わたしが高校生、大学生となり、夏休みに昆虫採集などをしなくなっても、父は蝶採集を続けていました。昆虫の中でも蝶にのめりこんでいきました。最終的には、日本で採集できる蝶の種類が400種類くらいといわれていますが、そのほとんどを標本として持っていました。

大学生の夏休みだったと思いますが、よく東京の蝶採集を趣味にしている大学生などが父のうわさを耳にして、父を頼って自宅へ来たことが何度かありました。父は蝶の話やどこへ行けばとれるといった情報提供には積極的でしたが彼らを蝶がとれる現場までつれていくのはめんどうくさかったようで、いつも夏休みで暇そうなわたしに案内を依頼してきました。それで、車で近くの山に連れて行って、お目当ての長が取れそうなスポットへ案内したを覚えています。

大学の物先を目指す

そんな幼少時代をすごした関係で、生物がすごく好きでした。それで、将来は大学の生物学の先生になろうと思い、地元の大学に進学しました。生物生理学学科というのが、私が選考した研究です。研究室の教授の専門が病理学だったので、最初は病理学を勉強しました。病理学の本は、ほとんど人間を中心とした哺乳動物のことが書いてありました。どのページを見ても、病気で変形した臓器や細胞のことしか書いてありませんでした。

初めての研究は、酸化した油の魚類に及ぼす影響というものでした。
そこで、ふと素朴な疑問が。健康な細胞って、なんだろう。私が勉強していたのは、細胞を中心とした組織学というものでした。教科書にしていた本には、たとえば酸化した油ばかりを摂取していると、肝細胞はこのように変形します、というふうに書いてあります。しかし、もとの肝細胞はどんな形が正しいのか、健康なのか、どこを読んでも書いてありませんでした。それで、大学院へ進んだのをきっかけに、健康な細胞とはなんだろう、ということを研究テーマとしました。これが、健康について考え始めたきっかけだと思います。ただし、まだ人間の健康とは何かというようなことは考えていませんでした。

健康相談士という仕事

大学に残って大学の先生になろうと思っていたのですが、いろいろ教授との仲もうまくいかず、結局のところ大学に残るのを断念し、就職することにしました。私が、宮崎の実家を出て東京で就職したころ、父は独学で勉強し、健康相談士という民間の資格を取得しました。正月やお盆に帰省した折、その健康相談士という仕事はいったいどんなものなのかということを聞くのが楽しみでした。人間の健康について興味を持ち始めたのはこのころからです。

父に仕事ぶり・・・

医者に見放された少女

病院に最終宣告されたがん患者