年収150万円で僕らは自由に生きてゆく/イケダハヤト


これまで読んだ本を分析すると、自分より目上の人の本をたくさん読んでいることに気がついた。つまり、年下の人の本をあまり読んでいないのである。読んでいないというよりも、読むほど興味をそそられる本がなかったといったほうが正しいかもしれない。書店で若い人の書いた本を手に取り、目次や前半部分を斜め読みしてみるのだが、「これは面白い」と思うような本にはなかなかめぐり合うことはできなかった

イケダハヤトさんは、1986年生まれ。今年26歳。私よりほぼ30歳若い。若い人の書いた本だけど、この本は面白いと思った。イケダさんの考え方には共鳴できる点が多々あった。

お金のためには働きたくないなと思っていたし、人脈(つながり)は財産だと思っていた。ただこの資本主義社会の中で、どのように生きて行けばいいのだろうかと考えた場合、なかなかいいアイデアが出ない自分がいた。この本を読んで、イケダさんの生き方や考え方は、あまりにも今風で実際にはついていけない部分もあるが、おおむねたいへん参考になったし、大いに刺激になった。このような感覚になったのは、若い人の本で言うと坂口恭平氏の「独立国家のつくりかた」以来だな。

この本でインターネットを使ったビジネスがいくつか紹介されていたが、その中で二つほど実際に内容を見てみた。ひとつは、自家用車のカーシェアサイトで、もうひとつは自宅の部屋や自分の部屋を貸し出すルームシェアのサイト。

cafore.comは、自家用車をシェアするサービス。借り手にとっては、自分で車を持つリスクがないし、いろいろな車を乗ることができるかもしれないので、楽しいサイトのようである。また貸し手にとっては、自分の使わないときに車を利用してもらって、しかもお小遣いまでもらえるのだから、ちょっと魅力的かもしれない。

roomstay.comは、自宅の部屋や自分の部屋を貸し出すサービス。自宅の空いている部屋や自分の部屋をシェアしてもらって、しかもお金をもらえるサービスである。

どちらのサービスも、貸し手がインターネット上に物件を登録し、借り手が物件を検索しお目当ての物件を見つけ、借り手と契約するというしくみになっている。共通して感じたのは、「不特定多数に貸す不安」だった。知っている人に貸すのはいいけども、知らない人に車や部屋を貸して、大丈夫だろうか。もし貸した人が約束を守らない人や約束にルーズな人だったらどうしよう。そういった、漠然とした不安がある。

車の場合は、車がなくなってしまう不安や、事故に会う不安もある。頻繁に事故に会えば、自分は何も悪くないのに、自分の保険の等級が下がって、高い保険料を支払わなくてはならないかもしれない。貸し出し時間や返却時間をちゃんと守ってくれるのだろうか。もし、遅延が起こった場合、その後の予定がめちゃくちゃになってしまうかもしれない。

上記のビジネスは、レンタカー業者や不動産業者を通さず、借り手と貸し手が直接やり取りをする場を提供するビジネスで、いわゆる「なかぬき」といわれるものだ。お金を払うことで、中間業者が責任を取ってくれている。なかぬきで契約するということは、貸し手と借り手が対等な立場で責任を持ってやり取りをできるかどうかということが問われる。

現代の日本人は、「お金で解決する」ことにどっぷりと浸りすぎだと思う。お金さえ払えば、何をしても良い。最近クレーマーが多いことも、この考え方が根底にあるのではと思っている。そこには、人間的なつながりや「絆」というものは存在しない。

私が子供のころの日本はまだ貧しかったが、人と人とのつながりがあったように記憶している。人と人の助け合いの精神も生きていたように記憶している。人間どうしの信頼関係が、ものごとの基本的なところにあったような気がしている。

上記のようなシェアリングをするというビジネスは、お金が動いていたかどうかは定かではないが、本来昔から日本にあったことだで、もともと日本的な文化ではなかったのかなと思っている。高度経済成長時に、政府が推し進めた各家族化政策で、家族はもとより、人と人とのつながりは細かく分断されたのではないか。

まず、人と人との信頼関係を構築するところからやり直さないと、何事もうまくいかないような気がした。そんなことを思った1冊であった。

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